女装とか草食系男子とか、ぬるくね?

xxxmammom24102010-03-25

第十二記


わたしの短いながら振り返る人生において、小学生時代は、
私感を抜きにしても、重大なタームだった。

いわゆるいじめを受けたり、したり、学校と問題を起こしたり学級の子の親に謝りに行ったり、PTAに睨まれたり。

当時刻まれたジレンマ等々は今では僕の生きる原動力となっているが、その一つに女性、男性からみた女性、性差の壁がある。
多感な第一次成徴期、高学年にもなると乳臭い照れ隠しもあって、男女間にはいさかいが絶えなかった。
世論はゆとりを基調とした相柄でありつつも男女平等の観念のもと女子に手を挙げるわけにもいかない、一方PTAやクレームをたれに詰め寄ってくるのは常に母親であり、学校の実権も女保護者たちに牛耳られていた(と当時は思っている)。

さらに我が家系も女系でこそないものの、児一人を囲むには十分な影響力を持っていたのである。>実際はいじめもあったので、男性性にも嫌悪感を持っているのでさらにもうひとつねじれているのだが、高校が男子校だったこともあり今はなんとか他人と接することができるようになった。

こうして肉体、精神ともに男であった世界は引き裂かれエイリアンとしての女性(母のなかにすら見える)を回避し、倦厭し、また乗り越えるべく他者としての女性性を回収しようと女性的に志向したこともあった、そしてそれは僕の一部になっている。

誰にでもアニマ(男性のなかの女性性、女性のなかの男性性)はあるという、しかし実際には世間的に肯定されないし、道徳で教える男女平等のうらには「おとこ」と「おんな」の間に決定的な断絶がある。だからこそワイドショーごときに「草食系男子」や「女装する男たち」が拾われてコメンテーターのやり玉に挙げられてしまう。

書き表すとよく分かるが、それぞれはどこにでもある、よく聞くような問題。
しかしゆとり‐男女平等の幻影に踊らされた同年代の方々には似たような境遇にある人は意外と多いのではないかと思ってつい書いてしまった。

結論をむりくりだせば
→教育コワイ
→学校はキライ

随分アナーキーになっちゃった


明日の抱負
てか、まるっきり今日だけど
大学に科目申請してカイカイキキで神山健二の話を聞きに行く、と
その次の日はTAFだから少し寝ておくかな

路地抜けようと思ったら行き止まりで、空き地の向こうにヒルズが