.revew メモ

アソシエーションとの区別
世代間のコミュニティ認識の違い
知的コミュニティの現状
院生学生のコミュが減った(ゼミ)
→非日常のテンションの自学自習日に12時間くらい
→ゆとりの中で再生可能か 社会的信頼をネットで代用⇔ゼミはピラミッドの頂点をつくってきた オルナタティブエリート(トップ)を産み出すか、ボトムアップ(プレゼンのシーンをつきる)か

レベルが下がっている。(宮台)
シーン(なメディア)をつくる→プレゼンできる
が興味なし。
トップをつくるために社会体系に回収できないロジックに沿うべき
非日常的なリソースを有効に使う
ロールモデル同一化欲求(ファーストステップ)の欠損

社会を変えられる意識(政治性)の消滅(西田)→同じものを同じように経験できるのが共同体(宮台)
共同体を下敷にした村の聖→20世紀少年の神様
余白のメリット→書き込める、がやはりそのファーストステップがない。
じくじに自分の存在の不安をベースにしている
セルフコンフィテンスの獲得するためのコミュニティ
反動の埋め合わせではなく解消してゆく→そのことの自覚
共同体→そこにいれば不安がなくなる、負の面同調圧力含め(宮台)
モデル西田を生み出すために、縦の力で引っ張りあげる
方法としてのコミュニティヘッドをつくる
日本にはアソシエーション文化はない
マンションでは旧住民に新住民は子供を経由して溶け込めない(宮台)

質問
野口さんの質問 身体の在りか場所、身体性によるリスクは信頼を補強するので地域にねざしたコミュニティのほうがつくりやすいのでは。→コミュニティを強制するガバナンスの構築が宗教のような絶対的自らのよるべを持たない日本のやり方