日記 これからのこと、2

もう少し粘る。
共感の伝染。和歌の浦のあしべやを広く知ってもらう、どこまでか。和歌山市の名所ではあるが、市の周辺に位置するためわざわざくる人も少ない。実際に行くとわかるが、むしろ県外からの団体が多い。

ちょっとまて、あしべやを残したいのは基本的にうちであって、残すことが他の人々にも資すると信じるからこそやっている、んだろう。
その意味では差異性に基づくポストモダンと変わらないように思えるが、そうではない、と思う。
だめだ、モダンかポストモダンかに揺れていては袋小路だ。

建築は(社会の集合的欲望の表象、対自的構造強化、対他的自意識これらはコインの裏表だ) ハナから社会という生態系(中沢真一)の中での営為である。しかし、現代では個の尊重というモダニズムの考えの上に建築のコミットメントは施主と設計者という二項のデジタルな関係に制限されている。
社会を施主と見た都市計画は民主主義の欺瞞に背を向けることで成立していたが、それも3.11が明らかにしたように現在ではそのフェイクも通用しない。私たちは原発について議論する場もない(デモは原発廃止のワン・イシューに収束してしまう)し、それに伴う経済の分配についても調停する行政体勢はブラックボックスであり、とても私達が選択したと自負する民主主義ではない。

建築においてもこれと並行する問題が浮き彫りとなっている。
所有者不明の建築はその地域に撤去したいという要望があったとしても、行政上手を加えられずにいる。また、(地域で)建築を保存、継承したいと思っても、固定資産税や補修費用は事故負担のため、やむなく解体することになる。

授業で習う都市計画は近代的に人の行動をコントロールする技術を学んでいるが、フーコー歴史学によって明らかにされたようにそこには必ず当時の方向性を動機づけるエンジンとしての思想があった。

建築業界でオウムのように唱えられた「地域に開く」というマニフェストは所詮は他人ごとのリージョナリズムの域を出ない、作った建築において生涯関わり続けることができなくては意味が無い。なぜならその建築は常に作られ続けているから。

3.11以前までは(金ー商品ー金。哲学の自然)資本主義の惰性で動いてきた(幾度も金融危機があったにも関わらず!)が、このような回路とは別の回路がやはり必要だ。それは中沢真一がいうような贈与の回路、常に商品にまとわりついてくる交換者同士の固有の関係性と関わり続けるような回路が大事だと思う。
これがよくある地域回帰とどう違うのかはまだわからない。
あるいは生物学的メタファーから「多様性」をキーワードにした議論もあったけど、結局80年代の焼き直しに過ぎなかったのか。

ひとまとめ  市民が建築と関わる場を増やすべき。このことは政治上で民主主義を達成すべき。という文とパラである。
どっちとというと後者のほうが上位クラスなんだよな。

そのためにどうすればいいんだ?
建築の保存が活発な場所で制度面、メンタル面においてどう地域の建築と関わってるか知りたい。
エジプト、イタリア、京都、広島…etc
この内イタリア以外は観光で成立している。
東浩紀が進めているツーリズムはこの方向でラディカルな例だ。
だが、ここで残されているものは原発事故とそれを起点とする様々な歴史的転換であり、重点は建築から離れる。
(だけど建築を国家から引き剥がすのは興味ある、近代のような理想的人間像ではなく、地球という生態系に生きる人類というレベルでの建築は可能なのか?)

話を戻す、観光で残すというのはリスクがある、カンボジアみたいに資本がどおっと入ることで、むしろその地域における建築が破壊されてしまうということだ。
このとき、何を残すべきなのか、考えなくてはならない。
和歌の浦なら、潮の響きと鳥の鳴く声(これらは人間が管理することなく「自然」に続いてきたものだ。)に 万葉の時代から江戸、明治を経てきた地層的時間を感じること。

実質的にはバランスの問題といえばそれまでだが…
なんだかすごく普通の話に帰着したな。