日記 

昨日気づいたことは、僕は中世の空間を嗜好していたということ。文章の背後に物語を読むように、建築においては抽象的な「空間」(デカルト的な無限進展して先行してすでにあるもの)ではなくモノが占めている領域が間テクスト空間に接続されて、主体が読むことによって生成、表現される空間のこと。

それは物質的には経路としての廊下、時間的には個人(あるいは所属する集団)がもつヴォキャブラリーによって可能になると思う。

個人(あるいは所属する集団)のパラメータが関わるので、ポストモダンのようになんでもござれの表層としての様式ではない。むしろ生産体制や気候、風土などの唯物的な交換不可能性、下部組織によって育まれる思想や世界観が重要だ。
(ラングは〜語という一言語のことではない)