磯崎のイセ論で反復は瞬間に垂直に永遠をもたらす、みたいなハイデガーの引用使ってたことについて

瞬間に垂直に永遠をもたらす、ってのは線形な時間軸に反復される無時間的(永遠的)場面が突然挿入されるということだと思う、ついでに東でパラフレーズすれば無時間的場面は象徴による経路の省略だし、岡崎で言えば演劇性(シアトリカリシティ)。

以下、実験文。

磯崎は日本的空間は関係性によって捉えられるので西洋のような起源(=オリジン)を気にしない、というんだけどここでいう関係性ってのは象徴性=記号性って置き換えられると思う。一方で僕は谷崎純一郎の陰翳礼讃のようなコントラストと人間の感覚器官との時間的関係やアニメや歌舞伎のインプレッション=刺激の入力度による時間=記憶の表現などすぐれて日本はイメージ的な感覚で世界を捉えてると思っているので、このギャップを考えたい。

もう一点、上のような線形的時間(意識的記憶、可ノエシス)に非線形的に非ノエシス的記憶が貫入する。ってことで
この非ノエシス的記憶ってのは提示されれば思い出せるけど、それまでは思い出せない。

関係ないけど、アルツハイマーの人は可ノエシス的、非ノエシス的、どちらの記憶も思い出せないのかしら。
しかし、可ノエシス的、非ノエシス的区分とは別に身体的(決して意識に上らない)記憶もある、例えば走り方や車の運転の仕方は口で言っても伝わらないし、思い出せない。
つまり二つの思い出しがある。
1つは空間的に、全体を一望できるような言葉で表せる。
もう一つは時間的に、その時になって初めて「それ」の痕跡を確かめられる。