昨日父と話したこと

ミケランジェロの話になって、ゴシックからの反転として視覚的な方向に振った表現、マッス。
その後のマニエリスムの捻じれ、よじれ。

それまで実体的な美の概念を作品に導入するスタンスであった(ゆえに古典復古が成り立つ)のが、流行や現代アートの萌芽としてミケランジェロが登場し、以後視覚的な表現が続く(プラトン的美の衰退)。

美しさや対象としてのモノが大量生産や複製技術などによって変革される(ベンヤミン、モリス)、新たな建築物としてエッフェルの塔、グラスパビリオンなど、これらは空間の概念が欲出される前に先取りして生まれ出てきたために当時の既存の建築概念と衝突したのではないか、と聞いたらローマ時代からそうであったと一蹴、例えばコロッセオは水道橋を楕円に繋げたものである。と

コロッセオとしての空間は入れ物が先か中身が先かってこと。
創作物が常に欲望に駆動されているとしたら、エッフェル塔やグラスパビリオンはどんな欲望のもとに建てられたのか。
ぼんやりとコールハースのビッグネスが頭に浮かんだりして。

そっか、技術による建築は背後に欲望が見えない、あるいは理性の暴走が見えるから好きじゃないのか。
そこでは人間が疎外されているという。