散歩いって考えまとめてきた。

やりたいこと
カント的な全体概念からドップラー効果のようにイメージとシンボルに二重化した存在が波及していく全体概念の建築

場面Aから対象Oを見て、続いて場面Bで対象O(=O')を見る。
この時イメージにおいてO≠O'であるがシンボルにおいてはO=O'である
→二重化した存在

その後対象Oから場面A、Bを見るときA,BからのO(=O')への視線(の記憶)を媒介にして時間的鑑賞が生起する。

この説明をシンボルだけですると話者がAでの主体、Bでの主体、OでのA.Bを想像的に取り込んだ主体のいづれなのかが会話する際の不可避的時間性によって決定不可能になってしまう。

以上に加えて大事なことは、このようなミニマルな関係性が本質的なのではなく、あくまでイマみているイメージによって二重化する状態が運動なのでアドルフ・ロースのようにイメージとしての装飾(記述)を抹消すべきではない。


運動は同一性がありつつ、異化すること。
1/24秒以下は変化が認識されず、早すぎる運動は同一性が認識されない。

運動による時間的鑑賞は、建物に入ってからの主体の経験記憶t-a、主体の生まれてからの経験記憶t-b、知識としての歴史Tがシミュラークルを形成するデータベースとして考えられる。