メモ 大事なメモ

建築に関わらず、人生において肉体をいかに取り戻すかが僕の傷なのだけれど、だからこそ建築でいかに肉体を取り戻すかを考えなくてはならない。

コルビジェを筆頭にした視覚的建築をどう乗り越えるのか。
日本木造建築(以下日本建築)の陰影は超視覚的だ。どういうことか。
日本建築の陰影は絵画における陰影と異なり、身体そのものを包み込む。
その陰影は網膜を伸縮させて視覚全体のトーンを変化させる。
カメラでいえば絞りの機能のプロセスは身体において必ずその運動を伴い、感覚においては重心の移動を伴う。
つまり「見ること」は重心や運動という見えないものによって支えられており、ゆえに日本建築はコルビジェサヴォア邸のような場所的可能世界(ココに対するアソコ)をエロゲー的ループ、ゲーム的リアリズムでひとつの建築に結晶化させるためにすべてを視覚体験にするべく明るく照らすのと対照的だ。

私は覚えている、外見ではそれとわからぬほどに小さな運動が劇的な視界の変化をもたらすことを。

重要なのは超視覚的なことであって視点が多いことではない。
視点を積分してひとつのヴォリュームを浮かび上がらせるのではなく、微分的な視点の移動こそが真にドラマティックなのだ。