今、設計のための覚書

設計のやり方として気になってたフローチャート的思考やテクトニックの概念はどうする。
ギーディオンがモダニズムは19世紀以前の無意識的なデザインを意識上で行おうとする思想であったと書いているらしい(ベンヤミンのまとめ本での引用)が、だとするとモダニズム以前の設計方法を調べて近代からこぼれ落ちてしまったものをすくい取るのは面白いかもしれない。

いづれにしろ現象学を提唱した今和次郎は興味深い存在である、彼がやっていた無数のスケッチ(による思考)は言葉では構造上扱いづらいイメージのシミュラークルを相手にしようとしていたと思えるからである。やはりそのためにはまず画力=イメージに考えることを鍛えたい。

形式に対して、表現はたしかに象徴的システムに食い込むことはもうできないかもしれない、その場でのコミュニケーションなどのちからに従属するだけかもしれない、しかしそのような在り方を肯定してもいいのかもしれないとやっと思えるようになってきた。でも問題はハイデガーが建築を論じたように場所に固定された建築(物)は実存主義と結びつきが強いと思う。
これはほとんど磯崎が取り組んでる問題そのものだけど結局答えは見つかってない

写真の貼付け方覚えた