学校設計1
学校設計。
小学校、生徒にとって学校は世界に等しい。地域/学校/家庭がそれぞれ遊離した状態でさらに個人がネットによって家庭から独立した関係性を構築する。
どこに「現実」があるか。
学校でのみ集団で行動する、これはこれでひとつの現実の強度をもつ。
ネットにおいてはほぼフリーライダーであり、一億総表現者にはならなかった。
たしかに可能性としてはあるだろう、しかしネットの外側に基盤となる母体集団がなければネットでのコミュニティは生まれにくい。
コミュニティの拡大では効果的だが、コミュニティの産出には効果的でないということか
いづれにしろ個人(アトム)のコミュニティへの帰属(分子化)という意味では同じにみえる。
落ち着こう、同じにみえるが現代批評で取り組まれている島宇宙化への対策として異なるコミュニティの併存を考えるなら知らない他人同士でつくる学級クラスは重要性は大きい。
新たなコミュニティを作る(適切な距離感を取るという意味ではディスコミュニケーションもコミュニケーションの一形態である)ことが社会モデルとしての小学校の第一義である。
さっきも書いたように学校(特に小学校)は生徒の生活時間のほとんどが帰属するため相対的に現実のプライマリーを獲得する。
さて新たなコミュニティを作るといったものの、そのためにはややアクロバティックなロジックが背景にある。これは自らのコアとなる、ひとつだけの、トラウマティックなコミュニティを作るという事ではなく、そこからの逃避可能性を確保することでコミットするということ。
ネットのような構成員をずらすレイヤーを挟むことで可能になる集団契約。
世界の外部を知ることで世界にコミットする。