商学部専攻の友人に向けて 公開してゴメンね

第二十二記


9.11でアメリカ主導資本主義社会が没落して、小泉改革は頓挫して格差拡大をマスのメガホンによって大衆的なネタに「祀り」あげられた00年代、エウレカにモチーフとして使われる金枝編の王殺し(こんなとこにまで……!まさにEUREKA)のように資本主義というか今の資本という形式を民衆レベルが殺そうと欲しているのではないか/それは動画の違法アップロード問題から始まり、ニコ動などのユーザーたちによるアマのプロ化に関連する情報(アイデア又その使い方も含)の、無形式の価値の能動的な流動性にも現れているようにも思えます。
しかしそれはあくまでも形式としての資本であって、オプティカルに予感するのは単に社会システムとして右派、左派によって天秤が支配される変化ではなく、資本の概念がマルクス規模で揺らげばいい/あるいはあるマネタイズそのものが価値を自己生産する(似たような議論はマルクスもやや噛みますが実際には機能していないと思うので)。これは先日宮島にも言ったことですが、村上隆が戦略的に欧米で企業家としてのアーティストをその内面に持ち、自らをそのアートの文脈上に編み込んでいったことは確かに資本主義を利用した俗物的な形態だという批判もあるかも知れませんが、そこも含めて彼の芸術家性ひいては作品だと私は捉えています。
このようなモデルのからのアプローチが物質的な面における建築において実践できないか、そんなある見地からすればアナーキーな想像を、しつる。現実を知らないだけなのかも知れませんが。

いや普通に経済とかイデオロギー関係は圧倒的に知識が薄いので、こんなのガキの戯言でしかないのですが、一応ライフログという体なので。
総じて言いたかったことは決して商学も建築も文学部も機械系も、あれもこれも無関係ではあり得ないということなのです。

ホントはもっとサクサクと、もっと内容のあるものを書ければいいのですが、むつかしいな。
書きながら考えるとどうしても発散しがちになるものね。

明日の抱負
最近はめっきりアニメを見る時間もなくなって、ついにこのページの頻出はてなワードから消えてしまったので週末いくつか見れれば、見れれば。
明日は四時限で終業なので、スケッチの課題でもこなすつもり。
フランス語からはすっかり遠のいてしまったな。