1日のうちに岡崎乾二郎とカオスラウンジをまわると非常に濃ゆい

第二十記

都現代美術館の方はどっちかっていうとテクニカルな、ディテールの割合も大きかったので、もう少し消化してからにする。

chaos loungeの感想tweetまとめ

過剰な情報は見る者に生産的読解、コードの自分なりの解凍を強要する。抽象絵画ではそこで見いだすようデザインされているものは神の存在だったが、カオスラウンジでは概念としてのかわいい女の子がいる  #chaos2010

出力された情報によって作られた地形や環境、肉体には「人間−物質」の対立項ではない存在の肯定があるのかも。つかさかわいいよ、つかさ。 #chaos2010 約5時間前 webから


カオスな空間というだけならコミケも同じですが、カオス〜は人をかき分けて作品を解読することも展示の一部となっているので似て非なるものだった、という印象です。  約5時間前 webから

とかいってアートのことなんて何も知らない人間なんで、口をついてるだけだけど、知らなくてもおもしろいと感じれるのは重要なこと。  #chaos2010 約5時間前 webから

みんなバシバシ写真とってデータにする「体験」を通してこなたの一回性、アウラを手に入れる的な。 #chaos2010 約5時間前 webから

しかも各作品にはニコ動と同じタグがつけられていて、ネットの判断ソースをダウンロードして現実に適用する、だけど現前の紙で作られた胴体は生きていない、この間に人でも物質でもないつかさ(実在非実在美少女)がいる。 #chaos2010 約5時間前 webから


昨日の反省
宮島は「で、君はどうしたいの?」という必殺技を使っているようだけど、建築で僕がやりたいことを車のデザインがやりたい宮島に説明するにはお互いあまりにも経験値が不足していた。
他ジャンルな僕等が共有できる話、ということで互いの作品観(「作品」をどう捉えるか)、方法論(「作品」をいかに成立させるか)で進めようとしていただけなので私の意見に対してのリアクションが想定したベクトルとは異なっていたことは事実。
もっと構成をもって話すことができればよかったなと思う
いずれにしろ言語の隔たり感は大きく、言ってることの3割くらい伝言ゲームになってる感じだった。自意識の解放とかいって違うクラスの人にこの概念を説明する、とか飲みの席でアドリブでするくらいのことは出来るようにならなくては先に進まないようだ。

今回も結局宮島の話を引き出すというより、自分の考えを言葉にして整理するような自慰的、独善的になってしまって自己嫌悪。まぁ、大学一年だから追々、とかいう言説は虫ずが走るので練習したい。
そのためにはやっぱり数をこなす、経験値をためることが大切かな。


明日の抱負
結構体を酷使したので明日は引きこもりたい、PCいぢりたい、あとは本読んで、棚をかたして、ustチェックして、、、あれ?休めない?