監視するためのbotは運命を紡いでセカイを描いてゆく。

第十九記


ツイートがbotと大差なくなってきたが、このbot的コミュニケーション(知らない人からのリプライ、RT含め)はそのままのぞき見的コミュニケーションのことなのではないかと思う。
関係者の誰もが予想しなかったハプニングはそれが発生したとき、関係者に受動的な立場で現象に関わらせつつも、居合わせる場の環境に配役し、そのギャップが運命論(自分の行為でこの現象が起きてしまった、と思う)を生み出す。しかしbot的なものの場合は少なくとも一方には作為、またはその意志があり、確率的に個人のTL上(個人の生活時間)にハッキングすることで背徳感をスルーしてのぞき見を発生させる。(この意味で東浩紀twitterを監視社会と呼んだことは非常にクリティカルであった。)

受動的に引き起こされたのぞき見は徐々にそのダークな誘惑から習慣化し、べき的予感を喚起する。
このようにして年賀状の小栗旬小栗旬の年賀状になる。
ここでは日本郵政botの代わりにのぞき見の背徳感をキャンセルしているわけだ。
こうしてみるとべき的予感とは宇野常弘の提唱したセカイ系に深く関わるキーワードであることが分かる。
つまりtwitter上では逆説的に運命なるものを求めているようにも考えられ、ローリングダイスなアクセサリー的サイトのリンクが多く張られるのも、このような背景があるからではないだろうか。
こうして監視するためのbotは運命を紡いでセカイを描いてゆく。


下の要素も入れたかったけど、収斂しなさそうなのでここまで。
フォローフォロワーの顕示
領域と空間


4月8日の検索
アウフヘーベン 止揚 唯物史論 ポレミカル 弁証法


明日の抱負
みっやっじま☆(キラッ)みっやっじま☆(キラッ)
明日は宮島と飲み。さらにMacもきたしテンション最高潮!!
法にふれない範囲で羽目を外しまくってやります。えぇ、やってやりますとも。