イズムは象徴されている。
いまの時代は象徴作用がエラーを起こしてる。
情報が拡散することでシニフィエシニフィアンのつながりが確率的になった。

確率的な時代。不安定な時代。

具体、感覚は象徴化されない。

象徴が下敷きとなった世界で感覚によって生きていく。
東を通したデリダエクリチュールの思想を地でいく世界。

今回敷地となったお茶の水はかつてイズムの集中した場だ。文明開化から昭和モダニズムまで大きな役割を果たした、しかしそれらはもはや取り戻すことは出来ない。イズムは成り立たないことをテーゼにしたポストモダニズムとは違う。

イズムが成り立たないこともある。けど基本は成り立っている。

楽天的に考えればイズムの世界に感覚的快楽を取り込むことができるだろう、そのためには象徴作用の失敗を受け止める感性が必要だが。