建築物に美術館という性質を与えられた時点ですでに物体的な建築物に先立って空間が成立している。
このような空間では予め広い意味での「想定」の域を出るものではない。

鑑賞者は驚くために驚き、感動するために感動しに美術館へ行く。
はたして美術とはそのような「想定」に囲われうるテリトリーであろうか。あるいは建築物とは記憶や感想などの情報によって汲みつくされるようなものなのか。

建物を単純な立体に帰化しようとする人間の記憶の力学に対して本館は逃走を試みる、それは藤巻が版画に込めた自身の風景に対する態度と重なるのではないだろうか。