10月21日

メタフィジカルリアリティ
フィジカルリアリティ
ネットワークやヴァーチャル化によるイマココ性が一点に収斂してゆくという言説が説得力を持ち始めるなかで身体によって「まさに感じる」ことができるリアリティをフィジカルリアリティ、「まさに感じる」ことはできないがリアルだと感じずにはいられないリアリティをメタフィジカルリアリティと定義する。
メタフィジカルリアリティとはカップを猫に変えるような魔法を期待してしまうリアリティだ。
もちろん帰納的にこのような魔法が実在する可能性は事実上皆無だが、使ってみたいと思うことは誰しもあるだろう。そしてそれは魔法を使える人になりたいことと本質的に異なるはずだ。
しかしこの「期待」というものはホントに可能性が無くても存在し得るものなのだろうか。ヒトが想像できることは全て実現可能であるというディスクールを持ち込めば、そもそも可能性の有無がここにきて破綻してしまう。この破綻の後に現れるのがメタフィジカルリアリティ。

ネタリアリティの存在 宮台風に言えば、フィジカルでもメタフィジカルでもどうでもいい。

魂の形状 霊と怪
様々な物語の中で魂の描写が語られるが、その姿が視覚的にあらわれるとき雑破に人魂と人形に二分できる。
一般に人形には内面(感情だけではない)があり、シンパシーや感情移入できるが人魂の場合これらは内面は設定されていない。よって人魂はクリーチャー、人形はキャラクターといえるし以前の東、千葉談の霊ー怪の分類なら人魂は怪、人形は霊になるか? ならないわ

ここでこの人魂と人形のかたちの違いによるキャラ性の装備可能性に進んで、建築物でもキャラがあると。
例えば東京タワーは「ノッポン」のように擬人化されやすいのはなぜか。