「劇場版 マクロスF 虚空歌姫〜イツワリノウタヒメ〜」

第三十記


そろそろマクロスのドーピング効果が切れて落ち着いてきたのでここらで一段落しておく。
映画を視てきた日はアニメイト世界堂ときてハンズへと回るフルスケジュールだったので、映画館
での感慨もひとしお。公式ラジオでも今回の劇場版は七割は新作映像と聞いていたので、意気込んで
踏みいったのだけれど視た感じ七割っていうかほぼ九割か、ってくらいの密度。
ウリのドッグファイトはしばらく超える戦闘映像は出てこないと思われ。
全体的にマクロスシリーズの歌と戦闘の競演が洗練されて、何となくで楽しめるエンタメ成分強めなり。
特に冒頭のシェリルのライブシーンは中々に好き勝手になっているので、
それだけで劇場に足を運んだかいがある。河森監督まだまだエネルギッシュ乙
ただし気持ちメインの三角関係も含めて恋愛チャートが大幅カットされているので、
テレビシリーズにもましてアルトの傍若無人ぶり、もとい軟派、もといプレイボーイぶりが際立って
苦い感情を持つこと請け合いです。

ところで私は新宿の劇場で視たのだけれども、全席指定だし、スクリーン適度に大きいし、何より世界堂の隣っていうのが良し。
しかしながら物販コーナーが矮小ともいえるほどなので、パンフも売り切れでし。
パンフがなけりゃ  なので、入手しにいった際中二階にある喫茶にも立ち寄りたいものでし。

M氏の原稿 メモ書き続き

文脈上と本質の価値の乖離による悶絶に関して、解決するに辺り考えられる方法としてさしあたって価値の統合(文脈により綴じる)、徹底的な分類による差別化が挙げられるが、どちらにしろまずは現段階の分析が必須である。

話をアニメに限定するなら、例えばパンチラが本質的にあったとして文脈によってその意味は変化する。
よく目にするテンプレでは段差からの転落により折り重なるように倒れ込む場合や激しい戦闘シーン、あるいは意図的なローアングルや不意の突風。
展開によりキャラの萌え、主観の卑猥さ、パロディとその属性を変える

しかしながら先に本質的なパンチラを仮定したが、そもそもこれが文脈により形作られているという前後錯誤がある。といった感じ?

この論法を世界のモデルである物語に広げていく感じで……
物語は関係性をその根幹に持つ
その点では色即是空、縁起の概念に基づくといってもいいかもしれない
一方で物語は文脈そのものでもある。

わかりにくいので成分分解を試みたい


明日の抱負
今週限りで余裕ぶってるのも限界だと思うので、明日日曜日はさらに「マイマイ新子と千年の魔法」視て、マクロスのパンフ買って、ハンズで用事済ませて、年賀状を完成させます。
あ、あとグランロデオのCDも買わなきゃ。