黒執事

第九記


黒執事第2期やるらしいですね。
まずは主役の小野大輔氏が「BLEACH」で馬橋を演っていた頃から随分キャラが変わっていて驚きました。
やっぱり彼にはへたれのほうが似合うと思うんだけれど。
驚いたと言えば日野聡氏が悪役というのも予想外でした、「キミキス」とか「灼眼のシャナ」での
女性への依存度も逆転して今回はすっかり使用者の側に立っていてなんだか微笑ましい……

こんなことばかり書いてもしようもないので中身について書くと、
シエルと彼のまわりに集まる不幸因子をもつ人々は、貴族と平民という社会的地位の区別によって
その思想を強調される

シエルは復讐者としての誕生はルルーシュと同じく、人外の理の力(悪魔との契約)を得、その力
との共存関係に苦悶しながらも、己の「根」を発散すべく粛々と女王の忠犬を演じてゆく。
ルルーシュに比べてシエルは能動的復讐者であり、自身を生産性のないペシミストであることを
自覚しつつも過去の「根」による束縛から逃れられない悲劇を描いた作品だが、サクセスストーリー
とは対極に位置する、このような「力ある者が落ちぶれる物語」を望むルサンチマンを破壊衝動と
結びつけ、生への欲求と成すのはフロイト的思考である。
一方登場する天使や悪魔、死神たちの戦いが極めて物質的であることから察するに、彼等は無意識の
具象化したものである。
また、彼等が主題よろしく執事であり、従事関係があることに本作のコンセプトがある。
こういった中で唯一具象化をせず、心理的背景もはっきりと明示された
劉(ラウ)はヨーロッパに屈服するアジア象を湛えているようでもの悲しい。

このように作品内では天使や悪魔を自らの抑圧された衝動を肯定したとき現れるものとされているが、
アグ二の右手には部分的にではあるが神の存在が明確にされている以上、神と天使、そして悪魔は
同格である。
このような個人が生み出す神を共有できる空間は宗教的には極限のカオス状態であり、現に天使を悪魔が引き裂くラストで、他者への依存することに対する強い決別を印象づける。


明日の抱負
結局昨日の不安通りサボってしまった・・・
まぁ、「大正野球娘。」全部視れたからいいけどネ
明日は出かけます。