はじめに…

このサイトでは筆者から不特定多数の訪問者に向けて設立されたものではなく、通常の日記と同様に筆者が自身のメモリを外部に記録しているのに過ぎないので あしからず。。。


第一記

日曜日 母と外出にむけて準備を進めていたところ、強烈な日差しを眼に受けしばし朦朧とし、ベッドにもたれかかる。が、どうにも気分が悪い、というかさらに意識が遠のいていく。
気付けば息づかいは部活練習でグラウンドを走ったときと同じほど激しくなっている。
手足が痺れ、はらわたが取り出されてしまったかのように体内が収縮している。
過呼吸症候群というものらしい、これはひとしきり落ち着いた後に母が調べてくれたことだ、よってそのときの私は知るよしもない。
その後も呼吸はますます浅く、速くなり続け、やがて一応の落ち着きを取り戻した。
時間にしてみればほんの10分足らずのことであったのだろうが、未知の発作にさいなまれるこの身には頭によぎる死の予感と併せて40分近くに感じていた。
この一件、振り返れば私が今こうして無事にPCに向かえるのもひとえに母のおかげだと、ただ感謝の念がわいてくる。なに、一つとして彼女は処置も励ましもせず、ただ見つめていただけなのだが、それでも親がいることとはこんなにも頼もしいのかと他人事のように感心してしまった。
しかしその反面、親に頼ろうとする自分をも見いだし、はらいせに、これで本当に死んでしまっていたらどうする。などと言って母を困らせてみるのも子の特権だ。


出かけた先の隅研吾設計の根津美術館では、いわゆる今の建築の流行を肌で体感したことはしばらく
この頭に暇を与えないだろう。
一応の感想をまとめておくと
ミース・ファン・デル・ローエファンズ・ワース邸の影響か、敷地内のカフェは庭に面した部分は柱を廃し、全面ガラス張りの天井高2,3m超の
超絶開放感。
だがしかし、店内のテーブル配置やカウンター裏の厨房へ通じる引き戸などがややせせこましさを感じさせる。やはり人の動きをシミュレートした設計は不可欠に思われ。
本館では入り口すぐの三つのポートの集中する構造はあたかも選択肢を迫られるかのような緊張感があり
大きなインパクトがある。
隅氏の多くの縦線による構造(設備)隠蔽ギミックの演出はいかにも欧州受けする印象をもった。
決して否定する訳ではないが、絶賛するほどあたらしくもないアイデアである。


行ったついでに売店でポストカードを買ったので、どれM君にでも送りつけるとするか。


明日の抱負
健康になりたい……