8月13日

昨日の会合は中々の試練だった。
人と会うことは楽しいけど、辛い。
成熟ってことなのかもね、東工シンポ的な意味で。
基本みんな向かう方向はバラバラなのは当たり前で、自分の使うレトリックが狭く弱いってことでしかない。

カラオケPVが結構おもしろかった。
サンボマスターが超近距離に迫ったり、私空間をハックしたりする音楽表現はこの前の思考実験とつながる。
音はそれが想起させる身体性を通してしか自己のうちに反復できない(単なる音をイメージできない)のに音楽として聞くときにはこのPVのように身体のもつ結界には反応せずに自然に入ってくる。
パロールとラング、エクリチュールと音声中心主義、シニフィアンシニフィエに身体と意味が対応するのかな?