TAF的なもの

第十五記


お笑いやバラエティーのネタのおかしさ(異様さ、滑稽さ)は自分がマジョリティを獲得していることを確認して、アイデンティティを強化するような自意識を固定する属性で、村八分を切り札にしたコミュニティのものであり、、自意識を解放する向きの作品のおもしろさとは異質なものだ。
お笑いの系譜を遡った落語の本質は如何にありえない話に客を引き込むかといった、伝え方のおもしろさであった。すなわち内容は重要ではなく、(世相を反映しているだけ)多くの落語家が同じ噺をする。
落語は形式的な文化であってアートのようなメタフィジックな文化とも違う、具体的にはダチョウ倶楽部などの「お家芸」と言われる型は文化的で芸になれず、淘汰されてゆく「ゲッツ」などの一発芸はネタであってコンセプトではない(アートのように後々文脈として回収されれば文化にもなり得る)。コンセプトとは熱湯風呂によってリアクション芸を生み出すといった文脈を作り出すものであって、ネタはコンセプトの読み替えに過ぎない。
TAFにむらがる人達のあらゆるフェティッシュで身体を規定してゆくのは作品の「おもしろさ」ではなくネタの「おかしさ」に近く、動物的に消費する「娯楽」の面が強いため「文化」とは言えない。

蛇足だけど、帰れま10の企画(マジョリティを獲得するゲームだが、自己規定的にマスコミがマジョリティを作り上げる過程をショーにしているの)構造が分かっている人にとっては「ミヤネ屋」のようなあたかも必要悪を公言することで存在価値を確立しているかのような番組はマスゴミの鏡だ


明日の抱負
結局片付けできてない……
水槽のセットアップもせねば……
ウサギのトレースと刀語みて科目登録修正して……